小学生からの友人に会った。六、七年振りだと思う。池袋で会った。
五年以上会ってなかったから、分からなかったらどうしようと思った。念の為自分の見た目をLINEで送ったら「マッチングアプリみたい」と返ってきた。友人の見た目は記憶と然程変わっていなかった。
でも全体に、上手く言い表せない、(こんな感じだったっけ?)という違和感、違和感と言うとネガティブなものみたいだが、そうとしか言えない感覚があった。
たぶんわたしは友人のことをずっと、教室とか学校とかの、匣の中の価値観とセットで記憶していた。わたしにとって匣はもう不要になったし、意味も成さなくなった。恐らくわたし達にとっても。だから(こんな感じだったっけ?)と思ったのだろう。それがわたしにはすごく嬉しかった。
カフェでお茶にしてる頃合いで、もう地元にはほとんど帰る予定がないことを話した。家出したことも実家と連絡を絶ってることも、生活保護を受給してたことも話した。友人はそれを、ただ普通に聞いてくれて、すごかった。ただ普通に話を聞いてくれることは、何よりも得難い。
地元にいた頃の自分、つまり、親の庇護下にあった自分は、今のわたしからすればすべて、親から自我を奪われつづけていた自分だ。今のわたしとは別人と言ってもいい。当時のわたしは何一つ自分の意思決定の下に行動を選べず、自我形成の根深い部分まで親の意思が侵食していた。それを拒絶して、拒絶しつづけて、再構築して、ようやくできあがったのが今の自分だ。
来し方を否定しつづけてきた(そうせざるを得なかった)自分が、来し方の権化とも言える地元に纏わる人たちと出会い直せているのは、十分に人生の僥倖に値する。
この話浅草に行ったときも書いた。本当にそう思ってますよ。
因みにこのとき一緒に浅草に行った友人と、池袋で会った友人、そしてもう一人とわたしで、ディズニーに行く計画を今立てている。夢?
「昔馴染み」と言える範囲の人間関係で、人伝に聞いた限りでは、陰謀論に嵌ってるような人はいないっぽくて、よかった。
もう積極的に地元に帰る理由がない、という話はしたけれど、旭山動物園のInstagramをフォローしていて、エゾタヌキが本当のほんとうに可愛いので、いつか会いに行きたい。誰か一緒に行きましょう。