数年前に叔母とした会話

「東京新聞が開票不正を暴露」は誤りです 存在しない報道がSNS拡散 画像は毎日新聞から転載か:東京新聞デジタル

この記事自体に特に意味はなく目についたもののリンクを貼っただけなのですが、最近の(特に政治の話題でよく見られる)「YouTube/X/TikTokで見た」から始まる悪影響が、本当に洒落にならないところまで来ている気がして戦々恐々とする。

戦々恐々としながら私は、私が数年前に叔母とした会話を思い出す。何かの流れで「インターネットに慣れ親しんでいない上の世代の人にとって、インターネットに慣れ親しんだ若い世代の人が、なんか自分の知らないことをYouTubeで知ってるらしい、みたいな状況って、怖いですよね」という話をした。たしか叔母の身の回りにYouTubeでさまざまな情報(具体的にどんなことだったのかは覚えていない。数年前のことだったので今現在ほど陰謀論が流行って(流行って?)いる時期ではなかった。それでも「TVでは報道しないニュースの裏側」的な話だったと思う)を仕入れている友人がいるという話だったと思う。私は自分の親世代が感じているだろう不安を想像したり、当時自分が知っていたことのさまざまを加味して、上記のようなことを言った。

当時の私は今よりも言葉に繊細だったので、かなり言葉を選んで話していたと思う。しかしこの会話自体は私から叔母へ何らかの説教じみたものではなく、今思えば単に叔母が聞き上手な人だっただけで、私はただただ気持ちよく喋らされていただけなような気がする。

「誰でも情報を発信できるようになったから、誰が、どういう目的でそれを言っているのか、ということを一々考えなきゃいけないし、個人が思い付きで発信できるかもしれない情報よりも、複数人のチェックが入っているだろうという情報の方が、信頼できますよね」というような話もした。自分がこのとき話した内容が百正しいと言いたいのではない。(妥当性はあると思う。)会話の内容が“正しい”ことであったかどうかより、私がこのことを思い出すとき、私と叔母の間でこのような会話が成立していたこと自体に、得難さを思う。

私は自分の親世代かそれ以上の世代の人たちが抱くかもしれない不安を想像しながら喋った。叔母はそれを頭ごなしに否定するでもなく、対等な立場で聞いてくれた。最近の世代/人種/国籍/性の差異から生まれる不安を発端としたさまざまなことについて……実際に社会を構成する人々への影響を見るにつけ……こうした対話がみんなに(しんじつ「みんな」に!)あればいいのに、と思う。想像力が不安を煽るためにではなく、不安を慰撫するために使われてほしい。

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